Wednesday, October 26, 2011

ちょっと気になった多文化と差別

韓国で、私たちのような国際結婚家庭は『多文化家族』と呼ばれています

前にも書きましたが、
私はその『多文化』の講師として、8回、幼稚園で多文化について教え、
昨日最後の授業を終えました

昨日の園児たちは4回に渡って授業をしたので、
最後はベトナムについてと、多文化についてのまとめ

私は日本文化についての授業はやることがありますが、
他の国については授業でしゃべることはまったくなく、
資料作成のお手伝いや伝統衣装の調達など
構成は一緒にやる先生が全部考えてきてくださいます

昨日最後のまとめのところでは、
先生が多文化を教える本(韓国では多文化専門の書物があるそう)から、
「ゆで卵の殻に黒色と白色を塗ったものとそのまま(茶色)のものを用意して、
 殻はそれぞれ違う色だけれど、殻を剥いたら中は全部同じ白
 『人間も皮膚の色は違えど、みんな同じだ』」
ということを教えるアイデアを抜粋してやりました

最初は「こういうのやろうと思うんだけど」と言われたとき、いい案かなぁと思ったけれど、
実際、授業を見てなんだか複雑な気持ちになりました

先生が言いたかったことは「見た目だけで差別・区別してはならない」で、
実際、口に出してそうおしゃっていました
それを言葉で伝えるということに疑問を感じた私
大人はいろいろなことを知っています
その大人の目線で、大人の頭で、子供に教える内容としては違うのではないか?  ←これが教育の難しい点か?

生徒の対象は、
韓国の歳で7歳、日本の幼稚園の年長

その歳で、外国人を見下す?というか、外国人に対して差別的な感情を持っているとは思えないんですね、私は


私のときと時代は違いにしても、
小さいころってどちらかというと親が外国人と言うと、
自分にはない環境で『あこがれ』に近いものがあったような気がするのですが…
うちが田舎だったからかな

子供たちがまだ知らない『多文化に対して区別や差別』という概念を与え植えつけて行っているのは、大人のほうではないか

そう感じました


木曜にやるドウファグヨン(童話口演)の劇もこれまた同じように『多文化の劇』って名づけられていて、
内容は、
「3びきの動物が見た目の違う1ぴきを仲間はずれにして遊んでいるのですが、
 その仲間はずれにされた1ぴきが、狩人が動物を狙いに森に入って来ているのを3びきに教えたことによりみんな無事で、
 さっきは仲間はずれにしてごめんね、みんな友達」
というもの



前のブログで少し書いたことがありますが、
ソウルにいたときに韓国語を教えてくださった『円仏教』の先生は、
自分の親がタイ人、カンボジア人であることは誇らしいことだと子供には思わせるべきと常々おっしゃっていました


上の多文化の授業や『ドンファグヨン』で多文化ということを主張すると、
多文化の子供たちは引け目に感じるのではないか

そうなると本末転倒になりかねないのでは…


そういう気がしてなりません



韓国人である先生からの目線と多文化家族である私からの目線の違いかなぁ



韓国の子供たちは、
都会であれ、地方であれ、
身近にいろいろな国の人がいて学校にベトナム人や中国人がその国の文化を教えてきてくれたり、友達の中にも母親、父親が外国人である子供たちがいたりと、
世界を身近に感じ、また学ぶこともでき、
とても恵まれた環境にいると思うんですね

日本では、都会はわかりませんが、うちの実家のあたりではそんな機会まったくないはず

そのことに感謝できるような授業展開をして行ったほうがいいのではないか
じゃないと子供たちは多文化の授業から逆に偏見を学んでしまう恐れがあるのでは



私は多文化家族側だからなかなかこれを主張しにくい立場ではありますが、
多文化家族である私だから主張しなければならないのかも







最後に、
私は、中国、タイ、ベトナム、フィリピンなど身近にいる外国人の出身地に行ったことがありますが、
それぞれ美しい国で、興味深い文化があり、そこで温かい人たちにもたくさん出会いました
だから、
「○○人はうるさい」とか「○○人は汚い」
とか言う人を見ると非常に残念に感じます
はっきり言って、私から見たら、その点に関してはあなたたちも同じだけど?って思っちゃう^^;
でもそれを私がユノちんの前で言うと、同じことになるので、
やっぱり韓国に対する愚痴などは子供の前で言うべきではないですね^^;



相変わらず話があっちに行ったりこっちに行ったりした内容になってしまいましたが、
また教育に携わることがあれば、このことはきちんと伝えたいと思いました